12月8日の日記
6日の土曜日に、高知市PTA連合会から600円のお弁当の注文を頂いた時の帯にPTAの歴史を載せました。歴史を知ることで本来の目的を知り、あらためて勉強になります。
バーニー夫人の活動
PTAの歴史は、児童愛護と教育環境の整備をめざしたアメリカの母親運動からスタートしました。創始者であるバーニー夫人は、生まれて間もないわが子の無心な寝顔を見つめて、生命の神秘と親としての厳かな責任に強い感動を覚えました。そして、尊い生命を守り、この無力な幼子を健やかに育て、望ましい環境に迎え入れるために「母の会」を作ろうと決心しました。
1897年、バーニー夫人は、ハースト夫人の協力を得てワシントンで全米母親大会を開き、「全国母親協議会」を発足させました。バーニー夫人は、その機関紙の中で「全国母親協議会は、信条、人種、身分の差別なく、全ての親と子と家庭のためにある。その舞台は世界であり、その組織は全人類である。」と述べています。
日本のPTAの歴史
戦後間もない昭和二一年三月、日本に初めてPTAづくりをすすめた、第一次アメリカ教育使節団の報告書がもたらされた。このなかに「児童・生徒の福祉増進及び教育計画の改善のために、父母と教師の会に激励を与えること」というPTAの結成を示唆する一文がみられる。この報告書の趣旨にもとづいて、CIE(総司令部教育情報部)は、文部省に対して、PTAの研究と結成をうながしている。これを受けた文部省は、翌二二年三月五日、『父母と先生の会Ⅰ教育民主化への手引』という資料を作成し、全国の知事宛に配布してPTAづくりを奨励した。わが国におけるPTAは、こうしてはじまったのである。
教育基本法や学校教育法が公布され、学制が現在の六三三制に変わり、今日の教育の基礎が定まったのも、ちょうどこの時期である。
バーニー夫人の活動
PTAの歴史は、児童愛護と教育環境の整備をめざしたアメリカの母親運動からスタートしました。創始者であるバーニー夫人は、生まれて間もないわが子の無心な寝顔を見つめて、生命の神秘と親としての厳かな責任に強い感動を覚えました。そして、尊い生命を守り、この無力な幼子を健やかに育て、望ましい環境に迎え入れるために「母の会」を作ろうと決心しました。
1897年、バーニー夫人は、ハースト夫人の協力を得てワシントンで全米母親大会を開き、「全国母親協議会」を発足させました。バーニー夫人は、その機関紙の中で「全国母親協議会は、信条、人種、身分の差別なく、全ての親と子と家庭のためにある。その舞台は世界であり、その組織は全人類である。」と述べています。
日本のPTAの歴史
戦後間もない昭和二一年三月、日本に初めてPTAづくりをすすめた、第一次アメリカ教育使節団の報告書がもたらされた。このなかに「児童・生徒の福祉増進及び教育計画の改善のために、父母と教師の会に激励を与えること」というPTAの結成を示唆する一文がみられる。この報告書の趣旨にもとづいて、CIE(総司令部教育情報部)は、文部省に対して、PTAの研究と結成をうながしている。これを受けた文部省は、翌二二年三月五日、『父母と先生の会Ⅰ教育民主化への手引』という資料を作成し、全国の知事宛に配布してPTAづくりを奨励した。わが国におけるPTAは、こうしてはじまったのである。
教育基本法や学校教育法が公布され、学制が現在の六三三制に変わり、今日の教育の基礎が定まったのも、ちょうどこの時期である。
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